札幌高等裁判所 平成2年(ラ)47号 決定 1990年11月05日
抗告人 市原晃 外9名
相手方 市原清
主文
一 原審判を取り消す。
二 相手方の本件審判前の保全処分申立を却下する。
三 訴訟費用は、原審及び当審とも相手方の負担とする。
理由
一 本件抗告の趣旨は、主文第1、2項同旨の裁判を求めるというにあり、本件抗告の理由の要旨は、次のとおりである。
1 共同相続人が有する包括的な持分について、他の相続人は、持分の処分禁止を求めることはできないと解するべきであり、とりわけ特定の相続財産についてのみ相続持分の処分禁止を求めることはできないはずである。
2 相手方が本件保全処分の対象不動産を取得する蓋然性はない。
3 本件において保全処分をすべき必要性はない。
二 本件記録によれば、次の事実が一応認められる。
1 市原昭一郎は、原審判添付別紙物件目録(編略)記載の3筆の土地(以下あわせて「本件土地」という。)外の資産を有していたが、昭和43年2月2日死亡した。昭一郎の相続人は、妻の市原いよの外は、昭一郎といよとの間の7名の子、すなわち長男の市原悟、二男の相手方、長女の抗告人市原富士子、二女の抗告人武藤史子、三男の抗告人市原晃、三女の抗告人杉原祐子、四男の抗告人市原達の7名であった。そのうち、いよは、昭和44年1月10日死亡したが、その相続人も右の7名の子であった。
7名の子のうち悟は、昭和56年12月18日死亡したが、その相続人は、妻の抗告人市原サト、子の抗告人下田美津子、同市原正夫、同市原真人、同有村さゆりの5名であった。
2 ところで、悟は、昭和48年8月6日及び昭和52年8月10日、○○○農業協同組合との間で金融取引の契約を締結し、その取引上生ずる悟の債務を担保するために本件土地に、昭和48年12月18日極度額1820万円(後に2080万円に変更)の根抵当権が、昭和52年8月17日債権額600万円の抵当権が、それぞれ設定されて各設定登記が経由された。なお、その金融取引については、相手方の外抗告人富士子、同史子、同晃、同祐子、同達も連帯保証人となっていた。
3 その間、井口比呂司は、昭和44年7月14日、抗告人晃に対する債権を保全するために○○地方裁判所に抗告人晃の有する本件土地の持分の仮差押えを申し立て、同決定を得て、前記1記載の7名に代位して持分移転登記を経た結果、抗告人晃の有する本件土地の7分の1の持分の仮差押えの登記が経由された。その後その仮差押えの申請取下により仮差押え登記は抹消されたが、7名に対する持分移転登記は残ることとなった。
4 相手方は、昭和62年10月10日、沢口研一に本件土地の持分全部を譲渡担保に供して本件土地について昭和63年8月19日譲渡担保を原因とする持分全部移転登記を経由したが、その後同年10月29日その移転登記の抹消を経た。
5 平成元年に至り、相手方、抗告人らの間で本件土地の売却の話が持ち上がり、初め抗告人らの一部に反対意見があったものの、やがて全員の合意により買主との間で売買の話がまとまった。ところが、その後、相手方は、自分の本件土地の持分割合が7分の2であると主張するようになり、売却処分は実現することができなくなった。
そこで、抗告人らは、平成2年3月7日、○○地方裁判所に対し、相手方を被告として同裁判所平成2年(ワ)第×××号の共有物分割請求訴訟(以下「別件訴訟」という。)を提起した。
同訴訟においては、和解勧告がされ、同年7月2日に開かれた和解期日までに、抗告人らは、相手方の持分を14分の3とし、その余を抗告人らが取得するとの案を提示し、相手方は自己の取得する持分を7分の2とする案を示したが、それ以上の歩み寄りがみられなかった。
6 そこで、相手方は、平成2年7月6日○○家庭裁判所に対し、相手方が前記2の悟の債務を弁済したから相手方には寄与分があり、抗告人らが本件土地の各自の持分を売却しようとしていること、抗告人らの持分が処分されたときは遺産分割の審判による結果を実行することが著しく困難となることを理由に、抗告人らを債務者として昭一郎の遺産分割の審判前の保全処分として本件保全処分を申し立てた。相手方が本件において提出した疎明資料は、本件土地の登記簿謄本、戸籍謄本、除籍簿謄本、別件訴訟の訴状及び答弁書の外には、右の悟の債務が弁済ずみであることを示す証明書とその旨記載された借用証書のみであり、右の弁済が相手方の出捐によるものであることを直接示すものは見当たらない。
これに対し、抗告人らは、右の悟名義の債務は、悟と相手方との共同事業の債務整理のために使用されたものであり、弁済資金は昭一郎により所有不動産を売却して捻出されたものであるとの抗告人晃の報告書を提出している。
三 ところで、遺産を分割する審判においては共同相続人中の一部の者に他の共同相続人に対する債務を負担させたうえ、当該物件を単独相続させることもありうることなどから考えて、遺産分割の審判事件を本案とする共有持分の処分禁止の仮処分は、係争物に関する仮処分の性質を有するものと解するのが相当である。そして、審判前の保全処分を発するには、本案審判の申立認容の蓋然性と保全の必要性を要することはもちろんであるが、遺産分割の審判事件においては、申立債権者が本案審判で当該不動産を取得する蓋然性と申立債務者の共有持分の処分を禁止する保全の必要性とを要すると解すべきである。
前記二記載の疎明事実によれば、相手方、抗告人富士子、同史子、同晃、同祐子及び同達は、各7分の1、抗告人サトは14分の1、抗告人美津子、同正夫、同真人及び同さゆりは各56分の1の割合による昭一郎の法定相続人であるところ、相手方と抗告人らとの紛争における争点は、相手方に寄与分があるか否かの点とその程度の点にあり、紛争の実体は本件土地を第三者に売却して得るべき代金の配分比率をめぐるものでしかないと推認されるが、前記疎明事実と対比すれば現段階における疎明資料によってはいまだ相手方に民法904条の2所定の寄与分があると認めるには足りず、遺産分割については家庭裁判所に相当範囲の裁量権があることを考慮に入れても、少なくとも、相手方が本件土地を取得する蓋然性のあることの疎明は全くないというほかはない。
四 そうすると、相手方の本件審判前の保全処分の申立を認容した原審判は不当であるから、家事審判規則19条2項によりこれを取り消し、相手方の本件申立を却下することとし、抗告費用の負担につき家事審判法7条、非訟事件手続法25条、民訴法96条、89条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 近藤浩武 裁判官 竹江禎子 成田喜達)
抗告の理由
1 抗告人市原富士子他本件各抗告人9名及び相手方市原清は、いずれも市原昭一郎(昭和43年2月2日死亡)の相続人である。市原昭一郎について、現在まで遺産分割の協議がなされていない状態にある。なお、昭一郎の妻いよは、昭和44年1月10日死亡している。
2 (被保全権利・審判申立認容の蓋然性について)
家事審判法第15条の3及び家事審判規則第15条の2は、保全処分を求める理由を明らかにしなければならない旨定めているが、その前提としては、当然のことながら、保全すべき権利の存在を前提とし、且つその権利が審判において認容されることを前提としている筈である。
ところで、抗告人である相続人が相続財産について、包括的に相続持分を有することは言うまでもない。その各相続人が有している包括的な持分について、共同相続人の一人が相続財産を構成するある特定の個別的な財産について、他の相続人の持分の処分を禁止することができるか。本件の争点は、正にここにある。抗告人は、到底処分禁止仮処分の対象とならないと考える。何故ならば、<1>民法第905条は、遺産分割前に共同相続人の一人がその相続分(包括的相続分である)を第三者に譲渡することができることを前提としている。従って、民法の建前では、直接の明文はないが、遺産分割前であっても、その相続分の譲渡等は許されると解するのが相当である。また、<2>この相続分はある特定の財産についてのみ有する相続分ではなく、包括的な相続財産についてのものであることは明らかである。今般、○○家庭裁判所においてなされた審判では、相続財産の一部のみが保全処分の対象となっている。本件においては、審判の対象となった物件以外にも別紙目録(編略)記載の相続財産がある。従って、いくつかある相続財産のうち、ある特定の相続財産についてのみ相続持分の処分を禁止するということは、およそナンセンスである。更に、<3>本件審判において、相手方が本件審判の対象たる不動産について、他の相続人、即ち本件抗告人を排して取得するという認容の審判が出る可能性もない。何故なら、他の相続財産のうち、換価可能なものは、目録番号5の土地(271.61m2)のみであり、相手方市原清が他の相続人を排除して審判の対象となった土地三筆を全て取得する蓋然性は全くないと言ってよい。本件土地の地積・位置及び目録番号5の土地の地積・位置を比較すると一目瞭然である。そうだとすれば、相手方の申立には被保全権利そのものがないと言うことができる。
また、相続人間の相続持分の割合について、紛争があるならば、持分の譲受人を参加人として参加させたうえで、それは調停なり審判の席で争えば足りることであり、処分を禁止するなどということ自体、許されない。
従って、法理論上も、具体的持分の分割を想定しても、本件仮処分は、許されるべきではない。
3 (保全の必要性について)
相手方市原清は、平成元年12月頃、本件仮処分にかかる土地3筆を売却しようと試み、抗告人10名に対し、印鑑証明書等の交付を依頼してきた(疎甲第4号証)。ところが、売却した場合の代金と各人の取り分について、相手方が明らかにしなかったことから、紛争が生じた。そこで、本件抗告人10名は、本年3月、○○地方裁判所に共有物分割の申立をなした(○○地方裁判所平成2年(ワ)第×××号)。これに対し、相手方は、抗告人らの持分があることは認めるが、割合については争うと主張し、法定相続分7分の1を超える7分の2が自己の持分であると頑迷に主張した。また同時に、相手方が相続財産は、本件保全処分の対象となった土地の他にも存することを主張し、遺産分割がなされていない旨主張した(疎甲第2号証、3号証)ことから、○○地方裁判所において、3回にわたって行われた和解手続が決裂したものである。従って、今更本件のような保全処分の必要性・緊急性は、そもそもないし、一人強欲に法定相続分を超える持分を主張していたにすぎないものが、どうしてかかる保全処分を申し立て、その必要性があるのか、不可解である。
よって、本件においては、相手方の申立は、法理論上も認められないし、具体的な認容の蓋然性はない。又、必要性も認められない。よって、原審判は取り消されるべきであり、相手方の申立は棄却されるべきである。